心配性の人って心配することが好きなんですよね?

昨日、娘(中1)が録画してある『借りぐらしのアリエッティ』を観ていたんですがね。
ちなみにうちの娘は、好きな映画やドラマ、アニメを何度も何度も繰り返し見るんですが、嫌いなシーンを飛ばしたり好きなシーンを何度も繰り返したりという、わたしにとっては不可解な見方をするんですが、こういう人います?
その結果、全然ストーリーが頭に入ってなかったりします。
ほんと、理解に苦しむ、、、。
あ、これは本題じゃないです。

何度も観てきた『アリエッティ』わたしは観たくないので、
「また観るのー!?わたしこれ好きじゃない」
って言ったら、娘が
「なんでーーーー!?」
と驚くので、出た返答が

「アリエッティのお母さんが嫌い」

でした。

何でかっていうと、過度の心配性だから!
わたし、心配性の人にイラッとするんです。

これが、先日の母との会話とリンクするのでちょいと掘り下げてみたいとおもいます。

心配の裏側にあるもの「恐怖心」


とっくに人間にバレてたアリエッティ

アリエッティのお母さんは心配性で、アリエッティが人間の家に「借り」に行くことを(人間の目に触れるような行動をすることを)とっても心配してやめさせようとうるさいお母さんです(笑)
お父さんは、アリエッティはいずれ1人で生きていかねばならないのだから、と、彼女の自立を考えていて、「借り」で人間に見られたことを「お母さんには黙っておこう。心配性だから」と心配性の人対策もバッチリの寡黙な男。

「心配する」という気持ちの裏側には「恐怖心」があります

なんに対する恐怖なんでしょう?

この場合、アリエッティ自身が心配しているのだとしたら、自分が人に見つかったらどうなるかわからないという恐怖心なので、これは人として(アリエッティは小人だけど)正常な心配です。
人間も動物を狩って食料としていた昔、恐怖心が正常でなければ命がなかったのですから、ある程度の恐怖心=心配は人として必要な機能です。

ですが、このお母さんにわたしがイラっとするのはなぜか。

もし人に見つかった場合、自分にはどうすることもできないと思ってること。どうにかしようとするつもりが全く見えないこと。

現状よりも良くなることより、波風立てずに現状維持したいというぬるい考えが好きになれないんだよーー!

子どもへの過度な心配は自己満足

さらには娘が自立することが恐怖(子離れ出来ていない)なんじゃないかと思えること。
子育てが終わったら自分の役割がなくなる恐怖。
そんなことなくても心配することが母親の仕事だと刷り込まれてるような人いませんか?

それって子どもにとっては足枷ですやろ。

崖から子どもを突き落とすライオンを見習えとは言わんけども、心はそうありたいと思うわたし。

先日の母との会話
わたし、中1の夏休みにアメリカの家庭にホームステイしたんです。1ヶ月くらい。[ラボ国際交流センター](http://www.labo-intlexchange.or.jp/index.html)という、ちゃんとした
団体の主催するプログラムだったので、母としては自分と行くよりよっぽど安心という気持ちだったらしいんだけど、多くの人から
「よく行かせるね?心配じゃないの?」
と半分非難めいた口調で言われたそうです。

母は
「どこが心配なのかわからない、(不慣れな)親と行くよりよほど安心だと思ったけど。」
「心配したい人ってさ、心配してる親がいい親だと思ってるんだよね。多分。変でしょ」

いやー、わたし、この人に育てられたなー

わたしもすっごくそれ、思うんで。
そして、わたしを心配せずにアメリカホームスティをさせてくれた母にとっても感謝しています。

あの時の経験がわたしを作ってるし、それは体験させてくれた母がいたから。

他人に心配しない冷たい親だと思われようが、英語教師にそんなの無駄ですよと言われようが、自分の感覚に従ってわたし達(妹も2年後に同じプログラムに参加しました)を外へ出してくれてありがとう。

おかげでわたしは、自分はどこへでも行けると思ってるし、だいたいなんでもできると思ってるし、どんな事態もなんとかなると思ってる。
これって生きていくために必要なことなんじゃないかな。
どんな学歴よりも。

わたしが怖かったのはわたしへの評価でした

そんなわたしでも、心配に絡めとられていたことがあるのです。
息子(高1)のことです。
彼は小さい頃から他の子とだいぶ違っていて、個性的な子どもでした。
公園へ行けば、走り回る子どもたちには見向きもせず、ひたすら砂場で砂プリンを作成する。家の中では何十分も襖を開けたり閉めたり。攻撃されそうだと思うと噛み付く(彼のセンサーなので他人には理解されません)
記憶力がよく、3歳になるまでに、ひらがな、カタカナ、簡単な漢字も教えていないのに読めたし、3×5=15を理解していたので、天才かと思いました(ちがったみたいですw)

何が心配だったかって、他人との共感力が低すぎること。
アスペルガーを疑っていました。

発達心理学について勉強したり、WISCっていう発達障害の子ども向けのテストを受けさせたりしましたよ。
担任の先生に毎年お手紙書いたり、みんなと同じことができない息子を叱ったり。

全部、心配だったから。息子が生きづらいのではないかと、わたしが親としてダメなんじゃないかということが。
でも、息子本人は別に生きづらいとも思っていなかったし、親のわたしがどう思われるかはわたしのコントロールできるところではないし、彼の人生にはどうでもいいことなんです。

息子も大きくなるにつれ、なんとなくギリギリのラインで学校に合わせることを学習し、それが楽しいこと、必要なことも勝手に理解しました。
わたしがどんなにうるさく言ってもやりたくないことはやらない。彼の中でやらなきゃいけないと思うことはやっているようなので、黙ってみることに決めました。
結果は、相変わらず宿題やらない、提出物出さない。でも学校には毎日楽しく行く。
そしてわたしの心がおだやかになり、息子もおだやかになりました。

これでいいんじゃない?

現在高校1年生。宿題をやらないと単位を落とすってことを学習中です…

わたしが怖かったのは、わたしへの評価とまだわからない息子の将来でした。

これは手放すべき恐怖心で、心配は自己満足だったと思います

今、他人への心配でどうにかなりそうな人へ。
その心配の奥にある恐怖心はなんですか?

自己満足ではないか、一度掘り下げてみると楽になるかもしれません(^-^)










ABOUTこの記事をかいた人

Noriko

ヨガインストラクター ナチュラリスト・ライフスタイルアドバイザー ゆとりあるストレスフリーな生き方を望む方へ ココロとカラダをゆるめてバランスを整えてワンランク上のゆるハピライフへ導きます